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チベット・マイ・アングル
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「今どきのチベット事情 (デリー編)」
 
1959 年ダライ・ラマ法王がインドへ亡命、 その後10 万人以上のチベット人が後を追ってインドやネパールへ脱出した。その多くは法王庁のあるダラムサラ、南インドのキャンプ、ネパール各地、及び首都デリーなどに住み着いた。幸いなことにインド政府が難民のため一定の土地を確保してくれたので、そこにチベット人はキャンプをつくり、チベット文化を継承した生活を送ってこられた。現在、オールドデリーは、最初にできたオールドキャンプと、その隣にインド政府が新たに提供してくれたニューキャンプがある。ニューキャンプの広さは、オールドキャンプの2 倍ほどあろうか。
 チベットから逃げてくると、ほとんどの亡命者はすぐネパールや、南インドのキャンプに移動した。しかし、何処に行くにもデリーを経由しなければならない。南インドのキャンプからダラムサラへ行く時や、他の都市へ移動するにも必ずデリーを経由せねば行かれない。飛行機はもちろんのこと、バスでさえデリーで乗り継がなければならず、南インドからダラムサラへ行く時にはよくデリーに滞在したものだ。
 60 年代は、インド政府へチベットの現状を直訴する活動が活発に行われ、デリーに多くの人たちが集まって来た。また中国の要人が来印した折にデモを行うなど、政治的な動きを活発にしていた人々が必然的にデリー残るようになり、オールドキャンプが作られた。当時は地方からの参加者を含め、大々的なデモが年に2〜3 回あり、オールドキャンプはその度にごった返したものだ。デモの後も拘留された人々の釈放を求め、さまざまな人が奔走した。
 デリー在住のチベット人で仕事に恵まれ余裕のある人たちは、インド人に混じり街の中で生計を立てている。しかし9 割近い人々は、町のはずれに与えられた土地、オールドキャンプで暮らしていた。当初の家は小屋同然で密集し、財産らしきものは何もなかったが、皆が寄り添いチャン(自家製どぶろく)を飲みながら歌って踊ってと、昔ながらの垣根を越えた付き合いがあった。子供たちは遊びに行った家でお昼を食べ、周りの大人たちは自分の子と分け隔てなく世話をしてくれたものだ。
 さて、数十年の月日が流れ、久しぶりにオールドキャンプを訪れると、時代の流れと共にチベットの小社会は全く様相を変えていた。オールドキャンプの中は閑散とし、ひしめき合うように建っていた小屋は1 / 3 に減っていた。  今や人口も激減、老人や貧しい人たちが細々と暮らしている。以前は60 〜 70 世帯、200 名を超える人たちが共に暮らしていた。現在多くの老人は亡くなり、その子供は西洋諸国へ移住てしまい、知った顔もほとんどない。
 しかし、その隣のニューキャンプには、大小様々なホテルが30 棟、その他レストランや土産物店、雑貨屋が20 軒ほど建っている。オーナーはみなチベット人だ。土産物や日用品が溢れ、レストランの食事も安く、近くにあるデリー大学の学生が日夜食べに来るほどだ。
 ニューキャンプの中はとても活気がある。かつてオールドキャンプには小さな寺がひとつあっただけだが、ニューキャンプには大きな寺と小さな寺二つが建立され、常時読経が流れていた。朝早くから夜は9 時くらいまで賑わい、チベット人に関する情報ならほとんど入手可能。ホテルの客は、ツォンパ(物売り)、チベット好きな外国人、海外からの帰省組で常に満杯である。ブッタガヤで法王の教えがあろうものなら、予約はかなり前からせねばならない。小さな村くらいの場所に旅行会社が大小20 軒ほど立ち並びいつも繁盛しているが、店どうしの競争は熾烈を極めている。ニューキャンプから今どきのチベット事情 (デリー編)ダラムサラへ向け、早朝/夜行バスがデラックスなものから年季の入ったものまで毎日2〜3本が運行され、料金もデラックスバスは4倍もするようだ。  現在でもチベット本土から逃げ出した人々は、まずデリーにやって来る。そこから南インドへ移動し、自分が所属する宗派の寺に入って仏教修行にいそしむ。一般人はキャンプで新生活をスタートさせる。また、ダラムサラ周辺にある彼らのための特別校( タンカ修行や英語など一般的な大人向けの授業) へ入るためだ。今でもダラムサラや南のキャンプへは、デリーを経由しないと直接行くことはできず、人々の往来は活発だ。
 このように栄えているニューキャンプにも心配な事がある。そこのチベット人には、まだ衛生面に関する配慮が足りない。ビルの合間は狭く、隣のビルの窓に手が届くほどで、窓は常時閉め切り、開けておくことはできない。雨が降ると家々の前に水たまりが出来、不衛生である。またゴミの収集はあるものの、ゴミを仕分けしてきちんと出すという観念がないため、小さなゴミはそのまま通りや川に捨ててしまう。  そのゴミで野犬が増え、よく追いかけられるようだ。また、働きもせずビリヤードや麻雀にふける若者も多く、若い女の子が一人でキャンプの中を散策するには、少し危ないかもしれない。 しかしそこはチベット人の情報天国、土産物を調達するにも、デリーに行ったチベット人は必ず立ち寄る場所である。
 昔のオールドキャンプは、皆がチャンを作りのんびり暮していた。町にはいつもチャンを飲んで酔っ払った人がうろうろしていたものだ。しかし、今はチャンの醸造が禁止され、レストランでは食べ物オンリー、酒はオーダーできない。ニューキャンプには現代の波が押し寄せ、皆忙しく働き、動き回っている。唯一あまり変化を感じないのは、夕方マニ車を持った老人を中心に、コルラ(寺の外側を時計回りに祈りながら回る)が始まることだろうか。
 ここに住むチベット人にとって、海外からの帰省組はあこがれの的である。自分もいつかは海外へ、そして家族や親戚を助けたいとの思いを心に秘めている。         K.D   

ピース・チベット

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