ワールド・チベット・ニュース          2011年春号
カナダのワールド・チベットニュース(WTN)のご厚意によりご了承をいただき、その一部を転載しています
【中国、チベットの騒乱地域への外国人の立ち入りを禁止】     
       4月22日 ロイタ−北京
  チベット亡命政府はチベット北東部アムド省のキルティ寺院で行われている弾圧に深く憂慮し、土曜日、国際機関に対し事態悪化の緊張を和らげるべく支援を要求した。  チベット最大の仏教寺院に於ける弾圧状況が先週木曜日以降悪化の一途をたどり、死者2名、僧侶の逮捕者300名以上を出すに至り、緊急支援の要求となった。 「チベット北東部ンガバのキルティ寺院の僧侶が直面している冷酷な状況に照らし、危機の打開の為暴力を使わないよう中国政府に説得してもらう為、国際機関、各国政府、各国議会に対し強くしかも緊急に訴える」と、チベット亡命政府内閣は声明を発表。  中国支配に抗議しチベット僧プンツォクが3月16日に焼身自殺して以降、キルティ寺院をめぐる状況は特に緊迫している。この出来事以後中国は取り締まりを強め、キルティ寺院への交通を遮断、2500人居る僧侶を餓死の危機に至らしめる状況となった。 中国政府は、愛国教育の為18歳から40歳までの僧侶を他地域に移住させる予定と警告した。愛国教育では、亡命チベット人の精神的指導者であるダライ・ラマ法王への弾劾をしばしば強いられる。この警告以来、再教育対象の僧侶を移住をさせようとする官憲を阻止するため、僧侶を守るため野営生活までする地元チベット人と中国保安軍との緊張はますます高まっている。緊張を打開するためか繰り返し訴えをしたにもかかわらず、中国政府はその高名な寺院では全て平常通りであるとし、如何なる不穏状況も否定している。 亡命政府は「得られる情報で判断すると、現状は非常に緊迫しており危機的である。外国のマスコミもおらず、適切な法的保護が欠如し、自由な報道も無い状況では、やがて大量虐殺に発展しかねないと憂慮する」との声明を発表した。 又、声明ではアメリカ政府に対し、次回行われる中国との人権問題首脳会議に於いて、この問題を取り上げる様に、さらにその他の国々に対してもこの状況を打開すべく各国の影響力を行使する様求めている。 「チベット亡命政府内閣は、キルティ寺院とンガバ地域で横行している危機が、次週行われるアメリカ―中国間の定例人権会議に於いて取り上げられ論じられる事を真摯に望む。 我々は同様の訴えを他の国々に対しても行う。他の国々も各々の国と中国との2国間協議でこの問題が取り上げるよう望む。我々の見解では、現地の人々の本当の不満の種を、力では解決出来ないと考えている。中国当局には寛容と広い心で正しく問題に取り組む自発的な意志が必要であり、キルティ寺院の僧侶はその欠如に対し真の不満があると考える」と声明は述べている。 又、主要チベットNGO団体はンガバに於ける状況を受け、明日、中国の締め付けを非難する大規模な抗議行動を取ると発表。 一週間前から連携して行う絶食抗議行動を展開するチベット独立賛成派の最大組織であるチベット青年会議は、ンガバに於ける保安弾圧を弾劾し、チベット人の犠牲者に祈りを捧げる為ここダラムサラで大規模な灯明祈願の通夜を行った。

【チベット政府、世界に緊急提訴】 
       4月23日 パユル通信ダラムサラ発
 中国西部チベット自治区の首都ラサで3月14日に起きた少数民族の暴動により55人のチベット人が投獄判決を受けた、と中国国家報道機関新華社が報じた事を11月5日(水)中国の上級官吏が明らかにした。投獄の期間は3年から終身まで。新華社の報道ではダライ・ラマ法王の外交使節団が北京で中国政府とチベット問題やダライ・ラマの身分に付いて話し合われている最中になされた。 騒動では、チベット人により、ラサに居住し働いている中国人への攻撃が行われた。中国政府は中国西部の少数民族地域、特にチベットや新疆ウイグル自治区への中国人の移住を積極的に奨励しており、それがこれらの地方での職を求めて移住してきた中国人と地元人との緊張を引き起こす事となっている。 3月の騒動はチベット自治区及び他のチベット人地区、特に四川省への中国政府による弾圧を招いた。チベット人の人権や独立を支持するグループは修道僧や修道女をも含め拘留や処刑が行われたと報じており、この報道の幾つかは独立して確認されている。3月の騒動では、1317人が拘束されたが1115人がその後釈放され、18人の市民と1人の警官が無くなり、382人の市民と241人の警官が怪我をした、と新華社は11月5日(水)に報じたが、以前は騒動では22人が死んだ、と言っていた。亡命グループは騒動中ではなくその後の弾圧によりチベット人が殺されたと主張している。また、暴徒により120の家屋と84の車両が焼かれ、1367の商店が略奪にあい、経済損失は4千7百万ドルに及ぶと新華社は報じた。 中国政府は、「この暴動は8月に北京で開かれたオリンピックを混乱させようとして、ダライ・ラマが組織したものである」として非難している。ダライ・ラマ法王はその非難を否定。ここ数週間ダライ・ラマ法王はチベット問題についての中国政府の交渉の進捗の悪さに落胆をあらわにした。そしてチベット人は将来長く提唱してきた中道路線より独立を強く求める政策をとる事になるかもしれないと語った。

【亡命チベット人、パンチェン・ラマの安否・所在確認の証拠を要求】
        4月25日 パユル通信ダラムサラ発
 チベット人及び世界中のチベット支援者は月曜日、11世パンチェン・ラマ ゲドン・  チゥーキ・ニマの22歳の誕生日を祝い、パンチェン・ラマ解放運動を組織した。  チベット亡命政府及び5つの主要チベットNGO団体は、パンチェン・ラマの安否と所在の情報開示を、チベット使節団との交渉窓口である中国政府機関総合開発部副大臣ズー・ウェイン(Zhu Weiqun)に要求する為、ダラムサラで嘆願書への署名活動を開始した。  活動家達は又、中国で監禁されりパンチェン・ラマを直ちに解放させる活動を盛り上げるため、オンラインでの活動も開始した。  中国共産党は、1995年5月ゲドン・チゥーキ・ニマを両親と一緒に秘かに拉致、その直後ダライ・ラマ法王は彼がパンチェン・ラマの生まれ変わりと宣言した。  それ以来彼が何処に居るのか、彼に何が起こっているのかは誰にも分からない。彼がチベットでの公式の場で最後に目撃されたのは16年前のことだ。パンチェン・ラマの安否に関する中国政府筋からの最近の情報によると、チベット自治区長官ペマ・ティンレー(パドマ寺院)からもたらされた。2010年3月に行われた定例中国司法会議での余談として彼は、「この若者はチベットの何処かで彼の家族と大変幸せな生活を送っている」と記者に語った。しかし、詳細に付いては語っていない。 「中国政府が彼の安否を証明しないのであれば、証拠が無いことになり、この発表には根拠が無いということになる」とNGO代表団は語り、共同声明の中で彼の所在の明確な証明を提出するよう求めた。 パンチェン・ラマは、チベット仏教のゲルク派伝承の中で2番目に高貴な血統であり、大変影響力がある精神指導者の一人と崇敬されている。伝統的にパンチェン・ラマはダライ・ラマ法王の転生者を見つけ出すという役目があり、中国政府は逆にあせって、別の少年ギャルツェン・ノルブをパンチェン・ラマとして任命したのである。 批判者達は、ギャルツェンは一般的にチベット人には認知されていないし、チベットでも中国全土でもチベット仏教の公的な顔であるダライ・ラマ法王に取って替えようと北京政府が目論見、彼を使っているだけと指摘している。近年彼は、益々政治的な役割をするようになり、昨年3月には中国の最高諮問委員として任命されている。

【3人のTYC役員ンガバで局面打開の為、無期限絶食抗議行動を開始】
       4月25日(月)パユル通信
  亡命チベット人社会独立賛成派最大組織チベット青年会議の代表ツェワン・リンジンを含む役員4人は、4月25日ダラムサラにて会見を開き、ンガバでの窮境打開の為、内3人の役員がインドのニューデリー、ジャンターマンターにて無期限の絶食抗議行動を開始したと発表した。 チベットのキルティ寺院では中国当局が300人の僧侶を拘束し、木曜日には死者2人を出す等状況が悪化しており、3人のTYC役員クンチョク・ヤンペル(財務長官)ドンドゥップ・ラダール(副代表)テンジン・ノルサン(統合長官)は、中国政府によるキルティ寺院への弾圧に抗議し、要求が貫徹されるまで無期限の断食を行うと宣誓した。  先週から継続絶食抗議行動を開始しているTYCは、キルティ寺院から中国軍が直ちに撤退する事、ここ数週間僧侶に対し無理強いしている愛国再教育を止める事、ンガバで最近逮捕された者を含め、全ての政治犯を無条件で釈放する事を要求している。 TYCは中国政府に対し、TYC代表団がチベットにおける政治犯の状況に対し、実態調査するのを認めるよう要望している。 「最近の中国軍によるキルティ寺院への包囲攻撃や300人を越える僧侶の拘束、3人の死者を出すなど、これはチベット人の人権に対する明らかな侵害であり、我々は国際機関に対しチベット人への支援を強く促す。又、ンガバの危機的状況について国連は問題に取り組むべきであり、定例のアメリカ―中国人権会議でも取り上げられるべきである」とリンジン代表は抗議行動開始前に語った。 3年前にンガバで起きた中国軍による血の弾圧から丁度同じ3月16日、チベット仏教僧プンツォクが中国に抗議をするため焼身自殺をして以来、キルティ寺院とンガバ地域で は一般的に保安上の締め付けがきつくなっている。この最大寺院の僧侶は依然愛国再教育を強いられており、亡命チベット人の指導者ダライ・ラマ法王を弾劾する事を強制させられている、と情報筋は伝えている。

【ダライ・ラマ法王、歴史に残る一手を打つ】
       6月4日
 ダライ・ラマ法王は、チベット亡命政府に於ける政治上又執行上の権限を放棄した事により、操り人形を使いチベット全体に及ぼす俗事上の権限を後継させようとした中国の野望に大打撃を与えた。北京は、このダライ・ラマ法王の決断に神経質になり、後に出した政府発表の中で苛立ちの感情を露わにしている。  ダライ・ラマ法王は最終的に、自身が50年間その為に働いて来たチベット憲法に改革案を導入する事に成功した。先週日曜日法王はこの改革案に署名する事により、世界史の中で469年の長きに亘った神権政治を終焉させた。もはや法王は、国家首脳でもないし、ガデン・ポタン(チベット亡命政府)の最高指導者でもない。 皮肉にも法王が議会に対する政治上・執行上の権限を放棄した後、この謙虚な76歳の高僧は、彼の中傷者である中国共産主義者にとって1週間前までには考えられなかったさらに強大な対手として出現した事となった。チベット亡命政府は今や北京首脳陣を相手にするに、より強力な首相と議会を持つ事となった。 中国共産主義統治者達は、何処かの操り人形を連れて来てダライ・ラマ法王の後継者として据え、チベット問題の恒久的な解決を計ろうとした野望をこの政治僧の一撃に打ち砕かれたと云う事実にいらだち、惨めにならざるを得なかった。もはや中国の策略は意味をなさないであろう。  かつてダライ・ラマ法王よりこの指令を受け、3月14日以降法王に対し俗世上の権限を放棄する事を思い止まらせようと躍起になったチベット亡命政府の各閣僚達は、やがて時間を掛けこの決定の真の衝撃を各々が理解して行くことになるであろう。  5月30日(月)以降第14世ダライ・ラマ事テンジン・ギャッツオ法王は、チベット亡命政府の中で単なる顧問となり、以後は全世界をより多く歴訪し、集会の機会を増やす事となるであろう。  ガデン・ポタンは、1642年ダライ・ラマ2世が宗教上と俗世上の首座を兼ねる事により設置された。この制度の下でダライ・ラマ法王は大まかにいって英国王室や米国大統領、インド首相、ローマ教皇、北朝鮮共産党書記長がそれぞれの体制の中で保持している強大な権力と同様な権力を保持して来た。  この最後の改革は、ダライ・ラマ法王が1959年占領されたラサから亡命し、亡命先でも最高指導者となった法王自ら歴史的な仕事2つを設定し、その1つを終わらせた事になる。もう一つのは、今までのように転生活仏選出の方法によりダライ・ラマを選ぶのではなく、推薦により彼の後継者を選ぶ方法に取り替える事であろう。  法王の計画によると、彼の後継者は生存中に指名され、誰もが認める学者か、見識のある僧侶になるであるだろう。これは14世の時のように、15世ダライ・ラマは伝統的でかつ宗教的な方法で発見され、指定された高僧達により14世の生まれ変わりだと証明された子供ではないという事を意味する。  修正された憲法では、ダライ・ラマ法王の死去に際して、法王の持っている権限を高僧・現大臣達・官僚達で構成された全権を持つ摂政協議会が全てを引き継ぐという伝統的な条項は廃棄された。かつて中国が、摂政協議会の個人議員へ影響力を行使し、チベットでの内政に干渉しようとした事例が幾つもあるからだ。  改革の本当のポイントは、ダライ・ラマ法王が改革を発表した3月10日と3月14日以降の中国の反応でより分かり易い。北京から発せられた、怒りとほとんど罵りに近い声明は、中国首脳部の神経過敏なところと無力感の大きさを反映している。今まで中国は怒りのはけ口としてダライ・ラマ法王と亡命政府、首相を攻撃して来た。  法王が考える将来のダライ・ラマ選出方法の改革について、北京はもっとも著名なチベット人協力者ペマ・チョリン、チベット自治区長官を使い国民会議会期中に全世界のメディアに発表させた。ペマ・チョリンは、ダライ・ラマ法王に『チベットの文化と伝統』について講義形式で行う事を選択した。  「チベットの伝統と儀礼に敬意を払い、ダライ・ラマ法王に進言申し上げる。我々はチベット仏教の儀式と歴史的なしきたりを尊重しなければならない。(中略)  チベット仏教は1000年以上の歴史を持ち、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの転生活仏のしきたりは数百年にも亘って取り行われて来た。(中略)私は、この転生活仏制度を廃止するか否か個人の判断に任せるというような事があってはならない、と思う」 政治上と行政上の権限を議会に譲るというダライ・ラマ法王の決定に反応し、中国政府報道官は「チベット亡命政府は中国を分断させる為に作られた非合法な形態である」と断言し、亡命チベット人の選挙のあり方に不快感を示し、新しい首相になる予定のロブサン・サンゲの経歴をあげ、デリー大学時代チベット青年会議に所属し行動的な指導者だった事で、彼にテロリストと烙印を押した。  これらの反応は、ダライ・ラマ法王に先を越されてしまった事と中国政府のチベットの将来像があやうくなった事に対する怒りといらだちをよく表わしている。1989年にラサで起きた蜂起とその結果として行われた1991年チベット会議以降、北京は宗教について2重の政策を続けて来た。チベット統治の継続に加え、中国政府は、仏教に賛成しているとの印象を作り上げようと、チベットを国際的観光地として紹介したり、仏教の国際会議に積極的に参加し多額の資金援助をするなど仏教国で開催される催しに資金提供するなどチベット内に居る転生活仏僧を出来るだけ多く味方に引き入れようと画策、他国に設置されているチベット仏教施設などへも侵入しようと試みた。  この戦略の一環として北京は、著名な転生活仏抽出を実施し、1993年ツルプでカルマパ(カルマ派代表)を、1995年にはシガツェでパンチェン・ラマを見つけ出した。カルマパは10代でインドへ亡命したが、5歳のゲドン・チゥーキ・ニマは依然軟禁状態にある。 チベット人は中国政府が選出したパンチェン・ラマを認めていない。しかしだからと云って北京は、現ダライ・ラマの後継者を見つけ出す為に同様の方策を示唆するわけではない。  北京は現在2人のパンチェン・ラマを物理的に拘束しているという優位性がある。又、数十人の活仏僧をチベット国内において中国人の前で示威行進させ、それを国際テレビ局が報道するという方法も取れる。必要とあれば、友好国にいる高位の仏教学者と仏教指導者に、次のダライ・ラマの転生を率先して立証させる事も出来る。  しかし、俗事上の権限を放棄した後には憲法上の仕組みを変えた事により、ダライ・ラマ法王は北京の如何なる望みも打ち砕く事となったのである。 (記者はチベット問題に関する解説者で、チベットに関する幾つかの書籍の著者でもある)
                    ( 訳 : ケーサン・ドルカー / チベット文化研究所 )