ワールド・チベット・ニュース  2006年8月・9月・10月 第6号
カナダのワールド・チベットニュース(WTN)のご厚意によりご了承をいただき、その一部を転載しています
【中国は法王のお誕生日を祝うブログを閉鎖】     
       7月31日 AFP
 ダライ・ラマ法王の誕生日を祝う書き込みや、その他関連トピックにふれたことで、中国政府が人気のブログを閉鎖した、とチベットの作家とブログ管理者がAFPに語った。  また、そのブログではチベットにおけるエイズ(HIV)問題、最近開通した鉄道によるチベットへの文化的な圧迫、40年目を迎え揺れ動いた文化大革命時にチベットに何が起こったかなどについて討論されていた。1950年に人里離れたヒマラヤ地域に軍隊を送り、いわゆる解放して以来チベットを支配している中国共産党政府にとって、これらはとてもセンシティーブな問題となっている。 ウーセルという名でブログを開いている管理者(ウエブサイトは2つありブログの名は同じ)の一人が、そのブログを閉鎖に追い込まれた旨をAFPに語った。 「7月28日、我々は地方政府よりそのブログを閉めるよう命令されたのですが、その理由は分かりません」と管理者であるTibetculnetのワンギュ・ツェダンは自分の名前が中国語に訳されているのを示し「でも、その命令はきっと中央政府から来たものでしょう」と。  ワンギュによると、そのブログは去年2月に開かれ、一番の人気があり、28000人もの人が楽しんでいる。

【ダライ・ラマ法王は、後継者を亡命側から希望】 
       8月7日 インディアン・エクスプレス
ダライ・ラマ法王は後継者について真剣に考慮中だ。チベット仏教の最高指導者は願わくば後継者はインドの難民社会から現れること、としながらも口早に、その名は全てのチベット人に受け入れられること、と付け足した。  法王はご自分を『半ば引退した人』と言っているが、このような理由があるようだ。法王は、亡命中のコミュニティから後継者が出ることにより、チベット人のため祖国を取り戻すという「目的を成就する」より良い立場に立てると思っているからだ。 「14代ダライ・ラマとして、私はチベット人をインドへ連れ出してしまいましたので、祖国を取り戻す活動を始めました。私の後継者は、この活動を受け継がねばなりません」と、ダライ・ラマ法王が語った。 将来のダライ・ラマ制度について、法王は生まれ変わりを探す代わりに、ローマ・カトリックで法王を選抜するような制度もひとつの方法であると述べた。「高僧達が集い、その中で次のダライ・ラマを選抜する。しかし一般チベット人には受け入れられないでしょう」と71歳になるダライ・ラマ法王は語る。

【中国メディアはチベットの御令嬢をブラックリストに】
       9月1日 ロイタ− 北京
中国はチベットの第10世パンチェン・ラマの令嬢の報道を検閲していると、業界筋が述べた。それは、明らかに、彼女の人気が父の問題のある後継者(中国政府が認定し、チベット社会に認められていない)を凌駕してしまうことを懸念している。パン・リンジン・ワンモ嬢はパンチェン・ラマ10世のただ一人の子供である。1959年ヒマラヤ地域を統括するダライ・ラマ法王が決起に失敗しインドへ亡命した後は(チベット本土内では)唯一のチベット仏教最高指導者であった。  亡命したダライ・ラマ法王と無神論者の中国共産党は、1989年に逝去した10世パンチェン・ラマの生まれ変わりを1995年競って選んだ。しかし、ダライ・ラマ法王が認定した6歳の少年はまもなく人々の前から姿を消し、人権保護団体からは世界で最も若い政治犯と呼ばれている。  令嬢に関する『宗教的資質は不十分』としながらも共産党宣伝部門は中国メディアで、彼女を7月にブラックリストに載せたことを、匿名を望む二つのメディア情報筋(民間)が伝えた。 「発端はSouthern People Weeklyの彼女の記事を再編集するものだったが、結局やめさせられたのです」とひとつの情報筋が語った。また、党宣伝部官僚が、今後はリンジン・ワンモについて記事は全て新聞、雑誌やネットワークに載せる前に許可を求めるよう命令した、とその情報筋が明らかにした。  アナリストによると、宣伝部は11代パンチェン・ラマに中国政府が選んだ少年より令嬢の人気がしのいでいることを懸念しているもようだ。

【リチャ-ド・ギア、ダライ・ラマ映画にコメント】
       9月6日 ブランフォードCT、USA
 リチャード・ギアは、精神的指導者であるダライ・ラマ法王の新しいDVDに賛辞を惜しまない。彼は、長い間仏教徒であり、「人生と悟りにおいて、ダライ・ラマ法王が解く仏教の根本」とコメントを加えた。 その3枚のディスクのセットは、チベットの文化、哲学、仏教など主要な分野全てにおよび、またインドの有名な音楽家ラフル・シャルマが音楽を担当している。これはダライ・ラマ法王により初めて正式に認可されたDVDシリーズである。 DVDはすでに国際的な心理精神世界の大物にヒットしている。ハリウッドで有名なグル・ディーパック・チョプラは、「このフィルムシリーズは、その映像、美と祈りに霊感さえ感じる・・・色彩の美しさ、意味深い言葉、真実に満ち溢れている」と言った。

【中国は青海―チベット鉄道を南アジアへ延長】
       9月11日 エポック・タイムズ 台北 中国は、第11回目の5カ年計画が2010年に完成させ、その後、青海−チベット鉄道を南アジアへも延長すると、8月30日にラサで中国チベット自治区政府副代表の陽ハイビンが述べた。  香港の新聞の文匯報によると、これはベター香港財団(香港に拠点を置くTechtronic Industries社のCEO)に組織される代表派遣団に会った時に陽がコメントしたものである。      陽は、2010年にはチベットの交通事情は著しくよくなり、航空路、ハイウエーと鉄道があらゆる方向に伸びるだろうと述べた。特にチベットの鉄道計画について取り上げ、中国はチベットに3本の鉄道計画、シガツェ経由のラサ―ザンム間、シガツェ―ヤドン間、アリ経由でシガツェ―カシェ(新疆自治州)を結ぶものがあると述べた。

【中国警備兵チベット人に発砲、登山家が目撃】
       10月10日 ロイター
 カトマンズ 海外の登山家達が火曜日ヒマラヤ山中で中国警備兵がチベット人グループに発砲した恐ろしい現場を目撃、少なくとも一人は死亡したもよう。9月30日3人の英国とオーストラリアからの登山家が、カイラスの中国側のナンパ峠山道近くにいたところ、偶然にも目撃したことをロイターに語った。そのうちの1人の登山家は、少なくとも10人のチベットの子供たちが中国当局に拘引されたと語った。 「我々はただ山に登りに来ただけなのに、人が撃たれるのを目撃してしまったことに驚愕し、怒りさえこみ上げてきた」と、その時世界で第6番目の最高峰、海抜8,201メートル(26,906フィート)のCho-Oyuベースキャンプにいたブリストル(英国)から来た42歳の登山家スティーブ・ローズが語った。  この事件に関して中国政府の正式なコメントは無い。その週末、ローズはネパールの首都カトマンズに戻り、中国兵は、20人から30人くらいのグループが黒っぽい服をまといネパールへ向けて凍てついた峠を越えようとしたところを狙ったのだ、と語った。「私は最初2度銃声を聞いたが、多分それは威嚇射撃だったろう」と語り、「その後、もう2度銃声が響いた、バン、バンと」 「一人が倒れるのを見たんだ。その後すぐその人は立ち上がり15メートルくらい行ったが、再び1,2発撃たれ倒れこんだ」 44歳の英国の登山家スティーブ・マッシュは、犠牲者は最後尾の人であると言っている。 オーストラリアの登山家は名前を伏せて、「私は望遠鏡で見ていたのですが、最初は背荷物のようだったが、2番目のは確かに人間だった」と述べた。 遺体は中国兵が片付けるまで、28時間もの間、氷河に置き去りにされていた、とローズが言う。「あんなに長い間遺体を放置しておくなんて、ひどい」  チベット難民グループや、ロンドンにあるInternational Campaign for Tibetは、その事件で亡くなったのは若い尼さんと少年であると発表した。  毎年何百人ものチベット人がヒマラヤを越えネパール入りする。その多くは1959年以来中国の支配に抗議してインドへ亡命した彼らの精神的指導者ダライ・ラマ法王がいる北インドのダラムサラへ向かう。 ネパールには現在20000人以上のチベット難民が住んでいる。しかし、最近の亡命者はネパールには滞在できないので、隣国であるインドへ行かねばならないのだ。(後略)

            ( 訳 : ケーサン・ドルカー / チベット文化研究所 )