ワールド・チベット・ニュース  2006年2月・3月・4月 第4号
カナダのワールド・チベットニュース(WTN)のご厚意によりご了承をいただき、その一部を転載しています

【チベット人、トリノ・オリンピックをターゲットに】     
         2月4日 ロイター トリノ
 トリノに住む亡命チベット人は冬季オリンピックの期間、2008年オリンピックを開催する中国政府に抗議するためハンガーストライキに入る。彼らはトリノのPiazza Palazzo di Citta(広場公園)で土曜日に平和的な抗議を行い、2月10日〜26日まで断食を行うと発表。
 「これは中国国民にではなく、中国政府の方針に抗議するものである」と参加者のチョッペル・タムディンがロイターに語った。「中国政府が人権を尊重するようになるまで、中国でのオリンピック開催にノーと言いたいのです」「言論の自由、宗教の自由が欲しいのです。だから2008年中国でのオリンピック開催に反対している事をオリンピック委員会に知って欲しいのです」「もし、国際オリンピック委員会から何の返事ももらえなければ、ハンガーストライキを続けるだけです」と40歳の男性は続けた。
 100名以上のサポータが広場に集まり、警察が広場の脇から眺める中、読経やドラムを叩いた。(後略)

【中国との話し合い 順調に】 
         2月10日 インドタイムス ベナレス
 中国指導部と進行中の対話について穏健主義を表しているダライ・ラマ14世は、チベットに自治をもたらす5回目の話し合いがすぐにも行われると金曜日に述べた。「中国当局とチベットのリーダーは、将来チベットへ自治の道を開くため、長年に渡り互いの関係に雪解けをもたらそうと信頼関係を築き上げてきました」と、ベナレス近郊のサルナートで開催されたアジア仏教会義で述べた。
 チベットの自治は、中国の憲法の枠組みでやることを主張、中国当局と話し合いを進めておりダライ・ラマ法王はおおむね良い方向に向かっている。既に話し合いは4回行われており、チベットに自治を実現するためまもなく5回目が行われる。

【チベット代表団が話し合いのため中国へ】
         2月15日 BBC ニュース
 亡命しているチベットの指導者ダライ・ラマの代表団が、チベットの自治について話し合うため中国に行ったことを法王側が伝えた。中国当局との話し合いは2002年以来5回目である。話し合いの内容は極秘に行われており、明らかになっていない。
 特派員によると、具体的な結果はここまでの会談では出ていないとのこと。北インドに亡命しているダライ・ラマ法王は、チベットの独立ではなく自治を求めていることを明らかにした。しかし中国当局はこれに対するコメントを拒否。しかし、専門家はほんとうのところ北京は話し合いを望んでいると、また中国のやり方に不満を持つチベット人を掌握できる70歳になる法王の今後を危惧している。
 ダライ・ラマ法王事務所は、使節団は前回同様、ロディ・ギャルツェン・ギャリに率いられていると述べた。2005年スイスにおいて亡命政府のスポークスマンであるツプテン・サンペルは(前回の話し合いは)チベット人に希望を与えるような非常に力強く、率直なものであったとロイター通信に述べている。
 「我々の最終的な望みは、チベット人にとって何が重要か、また、文化的なアイデンティティを守る自由があることを中国の指導部と話し合い、和解に基づいてチベット問題を解決することです」 

【中国での宗教活動、いまだ制限あり】
       3月1日 ロイター 北京
 権利グループによると、『分離主義』の罪で投獄されたチベット仏教徒2人は罪を軽減された。しかし、それは中国が宗教の自由において新しい規則を導入した1年後であり、いまだ信仰の自由は制限されている、と語った。
 『信仰を持つことは全ての市民の基本的な権利である』と謳ったその規則は、2005年3月に制定されたが、中国政府は特定の宗教団体や、海外での宗教活動を禁じており、共産党支配に疑念を呈するグループが大きくなることを危惧している。2005の規則は故意に分かり難くさせている。
 「その曖昧さについては何も申し上げることはありません。それは当局に合法的にモスクを閉鎖させたり、宗教的な会議に手入れを行ったり、指導者を再教育したり、出版物の検閲の機会を与えるだけです」と監視役が述べた。
カトリック・パトリオティック協会に所属し国外で礼賛するカトリック信者や、ウイグルのイスラム教徒、及びチベット仏教徒が彼らの宗教を実践することは、処罰の危険性が高くなっている。
 ウイグルとチベットの人々には、宗教的な信仰の他にも問題がある。新疆とチベットは遠い西境界地域にあるため、分離主義またはより大きな自治区をめざす運動とすぐ結びつけられてしまうためである。
 チベットは1950年に共産党に侵略され、ジグメ・テンジンは2000年に分離主義者−独立を擁護したとして19年の刑を受け、(上記の規則で)たったの1年間だけ軽減された、と政治犯解放に取り組むDui Hua財団が発表した。

【ダライ・ラマ法王中国訪問を希望】
       3月10日 BBCニュース
 チベットの精神的指導者ダライ・ラマ法王は、1959年中国の侵略に対する決起記念日に再び中国訪問の意志を述べた。法王側は、現在まで度々中国訪問を希望したが、分離主義者と批判する中国により拒否されている。
 法王は、自身で中国の発展を見ること及び、仏教遺跡を巡礼したい意向を示している。また、スピーチの中で再びチベットの独立ではなく自治を強調した。
 ダライ・ラマ法王代表団と中国政府が先月5回目の会合を持ち、対話を続けている。「巡礼地を訪れるとともに、中国の変化と発展を自身の目で見たい」ダライ・ラマ法王はチベット亡命政府がある北インドのダラムサラで何千もの信者に向かって述べた。また、中国とチベット代表団の前回の話し合いで、法王が抱くチベットの将来に対する抱負を明らかにすべきであった、とも述べられた。
 「私は、中国からチベットの分離を求めるのではなく、中国憲法のフレームワークの範囲内でその将来を捜すと再三述べている」とも。また、「この声明を聞いた人は誰でも、疑惑により視点が曇ってない者であれば、私の望みが分離ではなく本物の自治であることがわかるはずです」特派員によると2002年に再開されて以来、今のところ具体的な結果は現れていないとのこと。しかし、代表団のリーダーであるロディー・ギャルツェン・ギャリによると2月(2006年)に行われた対話以来、互いの理解が少しずつ深まっていると述べている。

【インドのチベット難民数万が新議会の投票へ】
        3月18日 AP通信 ダラムサラ
 土曜日、チベット難民数万人がインドにある亡命政府議会の新しい議員と主席大臣を選ぶために投票した。インドに住むおよそ80000人に、亡命政府の議員を選ぶ資格があり、選挙はインド各地の入植地で同時に行われた。
 今回は、チベット難民が亡命政府の主席大臣を直接選ぶ 2回目の選挙である。結果は4月末まで待たねばならない。1950年、中国が故郷であるチベットを侵略して以来、数万のチベット人がインドへ亡命した。彼らの最高の精神的指導者であるダライ・ラマ法王は1959年亡命し、北インドのダラムサラで亡命政府を樹立した。

【今月、チベットのパンチェンラマを
思い出して下さい−全ての南アフリカの人々へ】

        4月9日 南アフリカチベット協議会  
 4月25日ゲドゥン・チゥーキー・ニマは再度自らの誕生日を捕らわれの身として、場所も明らかにされていない中国の屋根の下で迎える。1995年5月14日、ゲドゥン・チゥーキー・ニマは、ダライ・ラマ14世によって第11代パンチェンラマに認定された。その数日後、中国警察は強制的にたった6歳の少年とその両親を連れ去ってしまった。チベット亡命政府、及び世界の人権擁護団体は、度々パンチェンラマの所在とその健康について問い合わせるものの、中国政府はそのコメントを拒絶している。
 1989年4月25日に誕生した若きパンチェンラマはたったの6年しか自由を謳歌できなかった。我々(チベット人)が南アフリカに居る限り4月27日を自由の日とすること、また何も悪いことをしていない若きチベットの少年が、中華人民共和国の執拗な詮索を受け苦しんでいることを広く知らしめたい。パンチェンラマの解放は中国の胡錦濤国家主席がアメリカやカナダ、後にインドを訪問する際、チベット亡命政府と中国政府間で現在行われている交渉の中で、中国が善意の切り札としてチベット亡命政府に示し、デモを計画する国際的な団体に対しても中国が対話を重視していることを示すことができる。さらに、2008年オリンピック主催でその準備におわれる中国にとってパンチェンラマの解放は、人権を考慮することとなり、デモを抑制する良いチャンスともなろう。

【北京が選んだパンチェンラマ、世界デビュー】
       4月14日 ガーディアン
 世界仏教フォーラムでは愛国心への忠誠がささやかれ、中国はダライ・ラマの参加を拒否。仏教界で最も論争の的となっている北京によって選ばれた16歳の少年、ギャルツェン・ノルブは通過儀礼として昨日世界的なステージでそのデビューを果たした。10年以上にも及ぶ中国政府の手厚い管理のもと、背の高い痩せたティーンエイジャー(ダライ・ラマが選んだ少年に対抗して選ばれた)は国際的な聴衆を前に、国家統一と愛国心を求める初めてのスピーチを行った。
 「中国社会は仏教信仰者にとって、とても良い環境を与えてくれます」と、中国杭州で開かれた世界仏教フォーラムにおいて10分間のスピーチを行った。そこには1000人もの僧や尼僧が30数カ国から参加していた。また、パンチェンラマは「国民を守り、人々のためにつくすことこそが仏教が国民や社会に行うべき神聖な行為である」と述べた。また、北京のチベット政策を批判し、「国の統一と人々の団結へのすばらしい貢献」をなしたため数年間囚われていた前任者を誉めた。
 パンチェンラマは公にはほとんど現れず、厳しい監視下の元、北京に居住しているもようだ。多くのチベット人はこのギャルツェン・ノルブをパンチェンラマとは認めていない。神秘的な伝統に基づくチベット仏教では、その地位は輪廻転生によりもたらされるものである。しかし、パンチェンラマ10世が亡くなった時、ギャルツェン・ノルブは中国政府により1995年政治的な配慮で後継者になった。

【若い過激派議員、亡命政府議会に選出】
        4月21日 AFP ダラムサラ
 発表された選挙結果によれば、チベット人はインド北部にある亡命政府議会に、43名の新任メンバーを選んだ。この中には祖国の独立を迫る若いメンバーが含まれていた。この姿勢は、1959年に中国の侵略によりダラムサラに亡命した精神的指導者であるダライ・ラマ法王とは一線を画するものである。「独立のためには何が必要か」チベット議会に初当選したカルマ・イェシェがAFPに語った。
 (1965年に中国政府によりチベット自治区が制定されたが、不幸なことにまだ600万人のチベット人には自治が機能していない。法王は本当の自治である中道政策を要求しているが実を結んでいないため、若者の中には再び法王が独立を要求して欲しいと願っている者も多い)

                           (WTNより)訳ケーサン・ドルカー チベット文化研究所)